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  • 執筆者の写真Nakajima

北極圏野生動物保護区へ(2)

更新日:2021年10月18日


極北の原野を歩く

6月の北極圏は花の季節でもある。 

茶褐色のツンドラの平原に少しづつ鮮やかな色が見えるようになってきて、やがてそれは美しいお花畑となり、荒涼としていた風景を青や黄、ピンクといった色彩で彩るのだ。

その日も、ツンドラを歩いていると小さな赤い斑点があるのに気がついた。

絵筆から飛び散ったばかりのようなその色に引き寄せられ近づいてみると、ケブカシオガマの花だった。

北極圏に春を告げる花だ。

日本の高山植物・タカネシオガマやミヤマシオガマに似ているが、ここは標高900mにも満たない。緯度が高いため山岳エリアでなくてもこうした高山植物を見ることができる。

1年のほとんどが雪に覆われ、真冬には氷点下50℃にもなる北極圏で、どうやって生きのび、そしてこんなにも見事な花を咲かせることができるのか、それがいつも不思議に思えてしまう。

春がはじまったばかりの今はまだ花の種類も少ないが、これから次々と咲き始め、その小さな花は気がつくと足もとに咲いていたりする。そのたびについ足を止め、その繊細な色や形に見入ってしまうのだ。

また、ケブカシオガマはカリブーが好んで食べるという。今回の旅の行程はカリブーの季節移動のルートとはかなり離れてしまっているため巨大な群れには出会えないだろうが、小さな群れくらいは見たいと思っていた。ケブカシオガマの花を見つけ、カリブーに出会えそうな予感がしていた。

 ぼくたちは「スプリングクリーク」という川が流れている広い谷を歩いていた。「クリーク」とは本来「小川」という意味だが、周囲の風景は大きく、広い河原の両側にはツンドラの平原が太陽に照らされて輝き、それを取り囲むように青白い岩肌を露出した岩峰群が聳えている。

これから毎日この壮大な風景の中を歩けることにふつふつと喜びが湧き上がってきた。

 昨日セスナで降り立つまでかなり忙しく準備をしてきたので出発はゆっくりだった。

時間は十分にある。

その日にどこまで行かなければならないという制約はなく、いいキャンプ地があったらたとえ2、3時間しか歩いていなくてもそこに泊まってしまうつもりでいた。

制約は、肩に食い込む重いザックと自分の体力だけだった。

 95リットルのザックは満杯で、さらにテントやライフジャケットなどを外付けしていた。フォトグラファーのシゲは撮影機材もあるためぼくよりもでかいザックを背負っている。登山道などはないのでどこを歩いてもいいのだが、歩く場所を選ばないと足に相当な負担がかかってしまう。ドライツンドラと呼ばれる、乾いていて硬く、凹凸の少ない場所を歩くのが一番いい。ウェットツンドラはトシック(tussock)という、日本でいうヤチボウズが繁茂している。トシックは直径が20〜30cmほどのドーム状の形をしていて、高さは足首の上くらいまである。それがびっしりと密生していると足の置き場を選ぶのが難しい。トシックは柔らかいため、その頭頂部に足を置くとバランスを崩しやすく、また、トシックとトシックの間は狭くて足を置くと挟まって足首を捻ってしまいそうになる。北極圏のツンドラは一見すると平原状でとても歩きやすく見えてしまうのだが、一歩足を踏み入れてみるとトシックや湿地帯があるため思うほどには距離が稼げず、ツンドラを歩くときは1マイル(1.6km)1時間で考えろ、と言われたこともあるほどだ。トシックは、おそらく北極圏のトレッキングで一番やっかいなものだろう。


ドライツンドラに咲くケブカシオガマ

 ぼくたちはトシックを避けて河原を歩いたり、歩きやすいドライツンドラを探したりしながらゆっくりとスプリングクリークを遡上していった。時折、ツンドラに誰かが歩いたような跡がついていた。

カリブーたちが通った道=カリブートレイルだ。

動物たちは本能的にどこを歩けば体力を使わずに進むことができるのかを知っている。ぼくたちはカリブートレイルを見つけると迷うことなくそこをたどった。カリブートレイルは目の前に聳えている岩山へと向かって続いている。山に近い場所はツンドラではないため、急斜面でなければ地面が固くて歩きやすい。

山の麓の丘を越えて振り返ると何かが動いているのが見えた。

カリブーだ。1頭、2頭・・4頭のカリブーが丘の上を歩いている。

シゲはすぐにザックを下ろして撮影の準備を始めた。ぼくも一眼レフを取り出しファインダーをのぞき、望遠側のズームでピントを合わせた。

体の小さい雌のカリブーだった。

カリブーたちはどこかを目指しているというよりは、エサを探しながら歩いているようだった。北へ向かっているかと思えば、突然、逆へ進みはじめたりしている。時々立ち止まって不思議そうにこちらをじっと見つめることもあった。もしかしたら初めて人間を見たのかもしれない。しばらく撮影しながらカリブーを見ていたが、それ以上の群れはあらわれることはなく、彼女たちはツンドラの丘の向こうへと消えていった。

ぼくはカメラをザックにしまいながら少し満ち足りた気持ちになっているのを感じていた。

 原野で野生動物を見るとなぜかほっとしてしまう。

アラスカは、カリブーやクマなどの野生動物の生息数そのものは多いのだが、土地が広すぎて実際にその姿を目にすることは決して多くはない。

数日間旅しても一頭の動物にさえ出会わないこともある。

それほどの大自然の中に放り出されると、否が応でも生き物としての自分を意識するのだろう。茫漠とした空間の中にいる自分の生命が、とてもか弱いものに思えてきてしまうのだ。

そんな時に他の生き物に出会うと彼らの生命力に励まされるのかもしれない。

身ひとつでこの厳しい自然を生きている野生動物の姿は、たとえ小さな動物であってもとても力強く見える。

自分はキャンプ道具や衣類、食料など様々なものを持っていなければここで生きていくことはできないが、野生動物たちは実に飄々とこの極北の原野を生きている。

その姿に勇気づけられるのだろう。


ツンドラを移動するカリブー

カリブーを見送ると、ぼくたちは重いザックを担ぎ歩き始めた。

岩山の急斜面を避けてまたツンドラに戻る。

そこはウェットツンドラで、ところどころにトシックや湿地帯があり、見通しは良いのだがなかなかまっすぐには進めず時には大きく迂回して歩かなければならなかった。 

あっという間に姿が見えなくなったカリブーたちの軽快な歩みがうらやましかった。

カリブーたちも普段は歩きやすいところを選んで歩いたりしてはいるが、いざとなれば湿地帯だろうが川だろうが意にも介さず一直線に駆け抜けることができる。1日に数十キロ移動することだってできるだろう。もし自分にそんな能力があれば、もっともっと自由にこの極北の原野を旅することができるのに・・・。旅の初日でまだ体が慣れていないこともあってか、重いザックが食い込む肩の痛みをうらめしく思いながらついそんなことを考えてしまう。

 3時間ほど歩いただろうか。水が汲める程度の浅い小川と、そのすぐ近くにドライツンドラの平坦地がある場所を見つけた。キャンプするにはちょうどいい場所だと思った。キャンプ地の条件は水場への距離、乾いた平坦地があること、そしてその付近にクマの痕跡がないか、だ。そんな場所はどこにでもありそうなのだが、一度良い場所を通り過ぎてしまうとなかなか次のキャンプ地が見つからないこともある。ぼくたちはザックを置いて歩き回り、クマの糞や足跡などがないことを確かめると、テントを張り、特殊な袋に入れた食料を数十メートル離れた窪みに置いた。少しでもクマの視界に食料が入らないようにするためだ。

 アラスカを旅しているといつもクマの存在を意識することになる。

日本のツキノワグマの数倍もあるグリズリーはアラスカの原野を旅する者にとってもっとも怖いもののひとつだ。そのクマとのトラブルを避けるために大切なのが食料の管理だと言われている。

 食料はベアコンテナと言われる直径25cm、高さ35cmほどの硬化プラスチックの円筒形の入れ物に入れて保管するのが一番いい。

犬よりも嗅覚が鋭いクマはわずかな匂いでも感じ取ってしまうのでコンテナに入れても匂いを防ぐことはできないが、コンテナの形状からたとえクマが興味を示して足や口でコンテナを開けようとしてもゴロゴロと転がってしまって絶対に中身を取ることはできない。

そしてベアコンテナはテントから離れた場所に置いておく。食料はもちろんだが、テントの中には洗剤などの匂いの強いものは入れない方がいい。

テント、食料保管場所、調理場所の三箇所をそれぞれ100mづつ離し、一辺が100mの三角形を作るようにキャンプを設営するのが理想的だと言われている。

また、風向きも意識する必要がある。

匂いは風に乗って流れるので、調理をする時はいつも風下を見ながら座り、もしクマの姿が見えた場合にはすぐに撤収して食料をベアコンテナにしまい、その場を静かに離れなければならない。

 そして、調理の時以外は食料保管場所、調理場所は風下側にしておく。もしクマが匂いに興味を示して近づいてきても、最初に人のいるテントに接近することを避けるためだ。


ベアコンテナ

 ただ、これらのことを実際にやってみるとかなり面倒なのだ。例えば、すべて片付けてさて寝ようとテントの中に入った時に歯磨き粉がポケットに入っていたりする。歯磨き粉は匂いが強いのでテントの中に入れるのはNGだ。仕方なく、また100m歩いてベアコンテナへ歯磨き粉をしまいに行くことになる。

本当にそこまでしなければならないのか、と思う時もあるけれど、人間の食料の味を覚えてしまったクマは本当に恐ろしいのである。


ぼくも1度だけその経験をしてしまっている。


 以前、ブルックス山脈のアリゲッチピークスという山へ行こうとした時のことだ。

セスナで山の麓の小さな湖に着水し、荷物を全て下ろすと森の中からドイツ人のカップルが現れた。人がいること自体に驚いたが、奥さんが挨拶もほどほどにぼくに見せたキャンプ用ガソリンのボトルにもっと驚いてしまった。

彼女が「これは何だと思う?」と見せたその金属ボトルには小さな穴がいくつも空いている。

ぼくはぞっとしてしまった。

あきらかにクマが噛んだ歯型だったからだ。

 彼らの話を聞いてみると、彼らはぼくらと同じ計画だったことがわかった。

降り立った湖の近くに折りたたみカヤックや食料などをデポし、アリゲッチピークスへ一週間バックパッキングをして、戻ってきたらカヤックでアラトナ川を下ってインディアンの村まで行くという計画だったのだが、山から戻ってみるとデポしていた食料がほとんどなくなっていたというのだ。

彼らは全ての食料をベアコンテナに保管していなかったのでクマに食料を食べられてしまったのだった。

 その日は到着が遅く、ぼくらもそこにキャンプする予定だったが、その話を聞いて帰りたくなってしまった。

でもセスナはすでに飛び立った後。

仕方なくぼくたちはテントを張り、ベアコンテナはできるだけテントから離れた場所に置いた。

また、ベアコンテナに入りきらない燃料や洗剤などの匂いのするものは防水袋に入れてトウヒの木の枝に吊るした。

湖の周りはトウヒと背丈ほどのハンノキやヤナギのヤブで見通しが悪く、その夜はかすかな音にもビクッとしてしまいゆっくり眠ることはできなかった。この時ほど白夜で暗くならないのがありがたいと思ったことはなかった。

 とりあえず何事もなく朝を迎え、ぼくと相棒のTはトウヒの木に吊るした防水袋を取りに行くことにした。

ヤブをかき分けながら木に近づくと、その木が不自然に揺れている。

まさか、と思いながら静かにヤブの陰から見ると、大きなブラックベアが木を揺らしてバッグを取ろうとしているところだった。

ぼくたちはすぐに引き返し、ドイツ人のカップルを呼んだ。

クマと対峙する時はできるだけ人数が多い方がいい。

4人でベアスプレー(唐辛子エキスが入ったクマ撃退用スプレー)を持って集まると、そのクマは今度はTのテントのすぐ前に現れた。

距離は10mもない。

テント越しにぼくたちが声を出して追い払おうとしてもそいつは悠然としていて、さらにテントに近づこうとする。

ぼくたちはベアスプレーを噴射した。

まだ距離があったのでスプレーの液体はクマには届かなかったが、ボッというスプレーの大きな音に驚いたのか、クマはやっとヤブの中へ逃げ去った。

大きなブラックベアだった。

グリズリーよりは小さいとはいえ、ゆうに100キロは超えていただろう。

日本のツキノワグマに似てはいるが、アラスカのブラックベアはツキノワグマの倍くらいはある。恐怖心もあったけれど、クマの黒い毛が木漏れ日にキラキラと光る美しさが印象的だった。

その後、ベアコンテナを置いた場所に行ってみると、昨日並べて置いたはずの4つのコンテナがバラバラに転がっている。クマが食料を取ろうとして足や鼻で転がしたのだろう。

今まで数百回アラスカの原野で野営をしているが、ベアコンテナが置いた場所から動いていたことはなかった。

朝起きるとテントのすぐ近くにクマの足跡があって驚いたことはあったが、その時もベアコンテナにクマが触れた形跡はなく、たとえ匂いに魅かれたとしても、未知のものには警戒してけっして近づかないのが野生のクマなのだと思っていた。

でも、そのブラックベアは違っていた。

 もう計画は変更するしかなかった。

ぼくたちはキャンプの撤収をはじめた。

1kmほど離れている河原まで行き、カヤックを組み立てて川を下り、少しでもここから離れることにしたのだ。

ドイツ人の夫婦、カートとエマも行動を共にすることになった。

ただ、たった1kmとはいえ、大量の荷物を湿地帯や樹林帯の中を運ぶのは簡単ではない。ようやく全ての荷物を運び終えた頃には疲れきってしまい、ぼくたちは河原にキャンプすることにした。

クマは1度追い払っているので、ここまで来ればもう大丈夫だろうと思ったのだ。

それぞれテントを張り、4人で流木を集めて焚き火を起こし、食事をしながらようやくゆっくりと話をした。

カートは元ルフトハンザ航空のパイロットで、エマは現役のCAだった。

もう70歳になるというカートがこんな厳しい旅ができることに驚いてしまったが、彼らは何度もアラスカへ来ていて、目の前を流れているアラトナ川を下るのは2度目だという。前に来た時に、ぼくたちのいる河原の少し下流にある湖のほとりに住んでいる夫婦に会っていて、そこまで行けば無線で助けを呼ぶことができると彼らは考えていた。カートとエマはクマに食料を食べられてしまったので、旅を途中で切り上げたいと思っていたのだ。

 しばらく話をしてぼくたちはテントに戻って寝ることにした。

河原まで来たことですっかり安心しきっていた。

カートとエマは二人用を1張り、ぼくとTはそれぞれ1張りのテントで、あまり近いと音が気になるので気に入った場所に離れてテントを張っていた。


 その夜、Tの「ベア!」という声で目が覚めた。

驚いてテントの入り口を開けて声の方向を見ると、少し離れたところに張ってあるTのテントの後側に彼が立っている。

「クマです!」

Tがぼくに向かって叫んだ。

ぼくはベアスプレーを掴んでテントから飛び出した。

Tのテントの前方には黒いものが動いている。

ブラックベアだった。

今朝追い払ったやつと同じクマだととっさに思った。

カートとエマもベアスプレーを持ってテントから飛び出してきた。

ただ、強い向かい風が吹いているのでベアスプレーは使えない。

4人で声を上げ、流木を投げたりするとようやくクマは立ち去っていった。

しばらく呆然としていたが、落ち着いたところでTの話を聞いてぞっとしてしまった。

彼は突然クマの鼻息で目が覚めたという。

クマはテントの前室に置いてあった防水バックを取ろうと、テントの下の隙間から前足を入れてガサガサと探りはじめた、そこで彼はクマを驚かせない方がいいと考え、ベアスプレーとナイフを手に握りしめテントの中でじっとしていたのだという。

しばらくして、クマが前室からバッグを取り、少しテントから離れた気配があったので、ナイフでテントの後ろ側を切り、テントから飛び出して声を上げたというのだ。

クマが取ったバッグには食料ではなくて食器用洗剤のボトルが入っていた。アメリカの洗剤はとても匂いがきつい。ぼくは洗剤は持たないが、Tは食事の後をきれいに洗った方がいいと考え持ってきたのだという。

クマが取った防水バッグは噛みちぎられ、洗剤のボトルにも穴が空いていた。

Tのテントの前室にはもうひとつ防水バッグが置いてあり、その中にはパスタが入っていたのだが、それには手を付けていなかった。

クマはパスタよりも洗剤の匂いに強烈に惹かれてしまったのだ。

 それからぼくたちは交代で焚き火をしながらクマの見張り番をすることにした。

翌日には出発できると思っていたのだが、天候が崩れてしまい、もう1泊せざるを得なくなってしまった。

そして、2泊目の夜、またしてもそのクマは現れたのだ。

前日と同じように4人で追い払ったのだが、ようやくぼくたちは人間の食料の味を覚えてしまったクマの恐ろしさを身にしみて理解したのだった。

 今までアラスカで何度もクマを見てきている。

どのクマも人間を見ると滑稽なほどあわてて逃げていったものだ。

時々、好奇心からか一瞬こちらへ歩み寄るような仕草を見せる個体はいたけれど、それでも最後はクマの方から立ち去っていった。

基本的にクマは人を恐れている。それが野生のクマなのだとぼくは少し安心していた部分もある。

 しかし、その時のブラックベアはそれまで見たクマと全く違っていて、平気で人に近づき、人間の持っている食料に異常なほどの執着をみせた。

 そうなってしまうと、そのクマは人間に殺されるまで人を見ればつきまとうことになるという。あとで聞いた話だが、その時に出会ったクマは射殺され、カートとエマは食料をきちんと保管しなかったということで50万円の罰金を払うことになったそうだ。

罰金の厳しさに驚いたが、そこにはアメリカの自然保護思想が込められている。

ベアコンテナにはクマのイラストが描かれ、そこに「SAVE THE BEAR」という文字が刻まれているのだが、はじめはその意味がわからなかった。それは、人間の食料の味を覚えてしまったクマは殺すしかない、そんなクマをつくらないためにこのコンテナを使いなさい、ということなのだ。

人間のためでなく、クマを守るためなのである。


アラスカのブラックベア

 カートとエマはベアコンテナを使ってはいたが、それが重くかさばるために全ての食料が入るだけの個数を持たなかった。その考え方もよくわかる。アラスカ原野の旅はベアコンテナだけでなくクマ対策にとても気を使わなければならない。クマがいなければ楽なんだが、と思ってしまうこともある。

では、クマがいないほうがいいのだろうか。


 初めてアラスカへ行った時のことだ。

ぼくは北極圏の シーンジェック川を下る計画で、その準備のためにフェアバンクスのドミトリーに泊まっていた。

その宿には様々な国から旅人がやってきていた。

ドイツ、イタリア、ノルウエー、オーストラリア、そしてアメリカの他の州から来た人もいる。皆、アラスカの雄大な原始自然を旅したくてやってくるのだ。

そして、そんな旅人の間で必ずと言っていいほど話題にのぼるのがクマのことだ。


クマに会ったらどうするか。

クマに会わないためにはどうするか。

クマは本当に人間を襲うのか。


などなど、話題はつきないし、結局正しい答えもない。

とにかく誰もがクマが怖くて、原野への旅を計画してはいるがクマへの不安を払拭できないでいる。

その時も宿のパブリックスペースでクマの話題になった。

だいたい話しが尽きたところで、アメリカ人の男がぼくをうながして宿の壁のところに連れて行った。

その壁にはクマの事故についての新聞記事の切り抜きが何枚か貼ってあった。

彼はその片隅に貼ってある1枚の紙を指差した。

見ると英文が書いてある。


If there wasn't a single bear in all of Alaska,

I could hike through the mountains with complete peace of mind.

I could camp without worry.

But what a dull place Alaska would be!

(もしアラスカにクマがいなければ、僕は安心して山々を歩くことができる。

なんの不安もなくキャンプすることができる。

しかし、そんなアラスカは、なんて退屈な場所なのだろう!)


それは、アラスカを撮り続けた写真家・星野道夫さんの文章の英訳だった。


確かにクマは怖いけれど、その存在はアラスカの自然が純粋であることの証。

だからこそ、アラスカは人々を魅了しつづけている。

壁の文章を読んでから彼を見ると、彼はゆっくりとうなずいた。

誰もが同じ思いでアラスカの自然を見ているのだと思った。



 夕食のあと、焚き火でコーヒーを沸かしながらぼくたちはゆったりとした時間を過ごしていた。

その日は結局4頭のカリブー以外の動物に出会うことはなかった。

 クマの痕跡を見ることもなく、今この瞬間もぼくたちを取り囲んでいる広大な空間に動いているものは見当たらない。

アラスカの原野にいるという緊張感もだんだんと薄れてきて、ここにいられることが嬉しくて仕方がなかった。

この時期の北極圏はいい。

まだ蚊の大発生も始まっていないし、天気が良ければさほど寒くなく、焚き火にあたっていてちょうどいいくらいの気温だ。

日本の山行ならスマホで翌日の天気を気にするところだが、ここはもちろん電波もない。明日も天気が良いことを願うだけだ。  昼間は時々広がっていた雲も今はすっかりなくなり、白夜の深いブルーの空に低く太陽が輝いている。テントに入るのが名残惜しく、焚き火の側で冷たい風に吹かれながら、ぼくたちはいつまでも周囲の風景を眺めていた。




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