北極圏野生動物保護区へ(1)

アラスカ北極圏のグッチンインディアンの村・アークティックビレッジ。
2018年6月、ぼくたちはフェアバンクスから10人乗りほどの小さな飛行機でこの村の空港に降り立った。
「空港」と言っても砂利が敷かれただけの滑走路と小さな無人の建物があるだけだ。
25年ほど前に初めて北極圏の村に降り立った時、あまりにも殺風景な「空港」に投げ出され、なんだか心細くなったのを今でもよく覚えている。
飛行機からはぼくたちの荷物以外に、ダンボール箱に詰められた様々な物資が降ろされた。
村人たちが砂埃をあげながら4輪駆動のバギーでやってきて荷物を引き取り、また村の方向へと帰って行く。村はずれの空港に残っているのはぼくたち二人だけになった。
バギーのエンジン音が遠ざかると、辺りはシーンと静まり返り、広い青空を流れる雲の音が聞こえてきそうだった。眼下にはゆったりと蛇行しながら流れるシャンダラー川が見渡せる。川の両岸はトウヒの森におおわれ、その暗緑色の色の帯は上流へと延々と続いている。さらに上流方向には岩肌のとこどころに残雪をいだいた山脈が連なっているのが見えている。北極圏を東西に横切る長大なブルックス山脈だ。村とはいえ、ここは北極圏の原野のど真ん中なのだ。
今回の旅は、この村から小型飛行機でブルックス山脈北側の谷へ行き、そこから歩きはじめ、途中からはパックラフトでジェイゴ川を下り、北極海に出てエスキモーの村カクトビックへ行くという計画。
前回の旅で、ジェイゴ川のゴルジュ状のセクションが危険で下れず撤退したという経験から、前半はバックパッキングでその危険箇所を通過することにしたのだ。
そして旅の大きな目的はカリブーの季節移動を見ることだった。
ブルックス山脈北側の北極大平原を、時には数十万頭の巨大な群れを作り北極海沿岸まで移動するという、原始自然の象徴のような風景を見てみたかった。
カリブーのような大型動物がそれほどの大きな群れを作れる場所は、今の地球上にはほとんど残されていない。その貴重な場所さえも人間による開発計画でずっと脅かされ続けている。
北極圏野生動物保護区を旅するのは今回で5回目だったが、カリブーの巨大な群れに出会ったことはなく、大きくても数百頭の群れだった。カリブーが移動する極北の大地は、日本に住んでいるぼくたちの想像をはるかに超える広大さを持っている。たとえ数十万頭という巨大な群れでもこのばかでかい自然の中では小さな点にすぎず、それに出会うのは奇跡のようなものなのだ。
はじめて北極圏野生動物保護区でカリブーの季節移動を見たのは15年ほど前のこと。
その時はコンガクット川沿いの「カリブーパス」と呼ばれる広い谷にベースキャンプを張って2週間ほど滞在した。時折、数十頭から100頭くらいの群れがぼくたちのキャンプの近くを通り過ぎていった。河原のベースキャンプから高台に登り、カリブーたちが川を渡っていくのを眺めたりして毎日を過ごした。結局、大きな群れを見ることはできなかったが、初めて訪れた北極圏野生動物保護区の風景ー森林限界を越えているため森はなく、南には名もない岩峰群が続くブルックス山脈が連なり、北はノーススロープ(北極大平原)と呼ばれるツンドラの平原が蜃気楼のように霞みながら北極海まで広がっているーそんな風景は、ぼくが抱いていたアラスカのイメージとぴったりと重なり、記憶の中にしっかりと刻み込まれた。

しかし、そこへ行くのは簡単ではない。
アラスカ北極圏には道はほとんどなく、今回のように、フェアバンクスからネイティヴの村へ定期便で行き、そこからは小型飛行機をチャーターしなければならない。小型飛行機なら滑走路などなくても、原野の真っ只中の川原やツンドラのわずかな平地に降りることができる。そこから旅をはじめ、カヤックで川を下ったり歩いたりしてどこかの村まで行けば定期便で戻ってくることができる。また、小型飛行機が降りられる別のポイントまで行って、日時を指定してピックアップしてもらうという方法もある。いずれにしても、周囲数百キロに道もなければ村もない無人の原野を旅するだけの食料や装備が必要となり、様々な危険も想定しなければならない。準備をしている段階で行くのをやめようかと考えてしまうほどだ。
アラスカでは、小型飛行機で原野を飛び回るパイロットのことを「ブッシュパイロット」と呼ぶ。彼らはぼくたちのような旅人を原野へと連れて行ってくれるのだ。とは言え、どこでも降りられるわけではなくその年によって着陸できる場所も変わってくるので、確かな技術と経験がないとできない仕事だ。
ぼくがいつも頼んでいるパイロットはユーコンエアサービスのカーク。
もう20年以上も北極圏を飛び回ってるベテランだ。
彼はパイロットとしてだけでなく、北極圏の自然に精通した頼もしいアドバイザーでもある。飛行中に見える風景を指差して、あの山に登るといい、とか、あそこはいいキャンプ地だよ、などとアドバイスしてくれるのだ。
その穏やかな笑顔と経験に裏付けされた言葉は、これから危険も待っているであろう旅への緊張感をいつも和らげてくれた。

「6月14日の朝の便でアークティックビレッジに来るように」
それが今回のカークの指示だった。
ただ、アークティックビレッジだけでなく他の村も拠点にして北極圏を飛び回っている彼が何時に来るかはわからない。
いつものことだが、何もない村の「空港」でいつ来るのかもわからない相手を待つのは根気のいる仕事だった。
その日は天気はいいのだが気温は低かった。じっとしているとだんだんと体が冷えてきて、ぼくたちはザックから防寒着を引っ張り出しては着込んだ。
「持ってきたもの、全部着込んじまった」
と相棒のシゲが言う。
いつもなら初夏の太陽に照りつけられて暑いくらいで、建物の日陰に入って待っていたりしていたのだが、今年は寒く、日向にいても温まらないくらいだ。
これからさらに北へ行くというのに・・。少し不安になるが、まあ、今までもなんとかなってきたので大丈夫だと自分に言い聞かせる。
しばらく待っているとかすかに飛行機の音が聞こえたような気がした。
ぼくたちは立ち上がって空のあちこちに目をやるが飛行機は見つからない。空が広すぎて音の方向がよくわからないのだ。突然、視野の端に機影が像を結んだ。白地にオレンジがかった飛行機。少しがっかりしてしまう。カークの飛行機は白地に青のラインの入ったセスナだからだ。その飛行機は砂埃を上げながら着陸し、中からパイロットが降りてきた。彼はすぐにぼくたちの方に歩いてきて話しかけてきた。
「カークを待っているんだよね?きみたちに話さなければならないことがあるとカークが言っていたよ」
パイロットたちはいつも無線でやりとりをしている。北極圏を飛び回るブッシュパイロットは多くはないので、お互いに情報交換したり、時にはこんなメッセージを託したりするのだろう。
それにしても話って何だろう?
気になるが、それ以上の事はそのパイロットはわからないようで、彼は自分の飛行機に給油するとすぐにまた飛び立って行った。
結局、フェアバンクスからの午後の便が到着してしまった。村人たちがわらわらと4輪バギーでやってきて様々な物資を積み込んでいる。アラスカの原野の村は、だいたいが人口数百人程度。アークティックビレッジは200人弱だ。村には小さなスーパーがあり、食料品や日用雑貨、衣料品などを売っている。カリブーの狩猟で主食の肉を得ているが、それ以外のものはスーパーで買わなければならない。どこの村も外に通じる道がないので飛行機が唯一の輸送手段となり、スーパーで販売している物資は飛行機で運ばれてくるのだ。
「日本人かい?」
バギーに乗った体格のいいおばあさんが話しかけてきた。同じモンゴロイドの顔立ちをしたぼくたちに親しみを感じたのかもしれない。ぼくがダウンまで着込んでいるのに彼女は半袖だ。真っ黒に日焼けしたシワだらけの顔に満面の笑みをたたえている。この原野でどんな暮らしをしてきたのだろう。今は発電機で電気も使えるそうだが、冬にはマイナス50℃にもなるこの土地での暮らしは想像することもできない。今、彼女の見ている風景とぼくが見ている風景は同じではあるけれど、実はまったく違うもの。彼女と話しながら、その違いを痛感する出来事を思い出していた。
以前、ブルックス山脈南側のノアタック川をカヤックで旅した時に、エスキモーの老夫婦の狩猟キャンプに立ち寄ったことがあった。突然上流から流れてきた日本人に少し驚きながらも、彼らは歓待し、コーヒーやクッキーをすすめてくれた。息子たちも一緒に来ているのだが、彼らは下流の方へ猟へ行っているのだという。エスキモーの彼らはインディアンよりもさらにぼくら日本人に近い顔つきをしている。どこかで見たことのあるおじいちゃん、おばあちゃんと言った感じだ。彼らもお前はおれたちエスキモーみたいだな、と言う。ジョンとメアリーというその夫婦は下流のノアタック村の村人だった。
「カリブーを見たか?」
と、ジョンが聞いてきた。
「少し上流で見たよ。角が大きくてきれいだった」と答えると、2人ともポカンとしたような表情をしている。何か変なことを言ったかな、と思ったが話題は他のことに移っていった。

突然、ぼくたちのいる河原のすぐ近くの茂みから一頭のカリブーが飛び出して川に飛び込み泳ぎはじめた。すると、ジョンとメアリーはその年齢からは想像もできない素早さで、しかも静かにボートに駆け寄り、スーッと船を川に浮かべて飛び乗った。
メアリーがボートのエンジンを操作し、ジョンは銃を構えている。
パーンという鋭い音とともに泳いでいたカリブーが水上で横になり流されはじめた。
ボートは素早くカリブーに近づいて行く。
ジョンがカリブーの角をつかみ、ロープでボートに固定する。
カリブーの重さで少し傾きながらもボートはぼくのいる岸に接岸した。
全てが無駄のない動きで進められていた。
どれかひとつでも行動を間違えればカリブーを捉えることはできなかっただろう。
ぼくが駆け寄ってボートの舳先をおさえると2人は岸に降りてカリブーの角を掴んで引き上げはじめた。
ぼくもそれを手伝う。3人で引っ張っていてもその重さがずっしりと手に伝わってくる。袋角におおわれた角は優しい触感で、まだ温かいように感じられた。ようやく岸に引き上げると休む間もなく2人はナイフでカリブーの解体をはじめた。ものすごく手際がいい。
その時、ちょうどカヤックで川を下ってきたオーストリア人の2人組が上陸してきて、彼らは写真を撮りはじめた。ぼくは写真を撮るよりもしっかりと見ておきたかった。写真を撮っている男が「妻には見せられないよ。見せたら吐いてしまうかもね」と言うが、ぼくはそんな感情は抱かなかった。
2人の仕事はあまりにも見事だった。美しくさえあった。
カリブーの胃袋の中まで凍るように冷たい川の水で洗い、解体は終わった。
すべての肉を岸に広げるとジョンとメアリーはようやく腰を下ろした。
「このまま3日間置いておくと肉が美味くなるんだよ」とジョンが言う。
その表情を見ていて、さっきジョンが「カリブーを見たか?」と聞いてきた言葉の意味がやっとわかったような気がした。
「カリブーを見る」ということは彼らにとって自らの生存に関わることなのだ。
当たり前のことだが、獲物が見つからなければ狩りは成り立たない。
ぼくがアラスカの原野を旅する大きな目的のひとつは野生動物を見ることだが、ジョンやメアリーがカリブーを見るのとはその意味が全く違う。
まだ一頭のカリブーも捕れていないジョンの「カリブーを見たか?」という問いは、実はとても切実なものだったのに、ぼくの答えはあまりにも軽すぎて彼らはポカンとしてしまったのだろう。同じような顔つきをしていてお互いに親しみを感じても、ぼくたちの間には大きな違いがあることにこの時初めて気がついた。
村に小さなスーパーがあるとは言え、猟をしなければ食料を確保することは難しい。こうしてカリブーを獲ったり、川で魚を取ったり、また、春には北極海沿岸へアザラシ猟にも行くと言う。今ではエンジン付きのボートやスノーモービルで猟へ行くようになってはいるが、それでも、この厳しい自然の中で狩猟をして自分たちの食料を得ていくのは簡単なことではないのだろう。
ぼくたちの周囲にはあいかわらずツンドラの平原が広がっている。その風景の中には一頭のカリブーも見あたらない。